こちらの動画で千田先生がわかりやすく解説してくれているよ。
Q.なぜ、島原・天草一揆は起こったの?
キリスト教が禁じられたから、というのは広く知られているけれど、理由はそれだけじゃないんだ。
原城を築いた有馬晴信の子・直純の代わりに新領主となった松倉重政は、原城を廃城として1618年から島原城の築城を始めたんだ。その費用を捻出するために年貢の取り立てがとても厳しくて、みんな貧しく辛い生活を送っていたんだ。
苦しい生活の支えとなったキリスト教の教え。それすらも禁教令で禁止されてしまった。
そこに飢饉も襲い、ついに「もう耐えられない!」と農民や漁民が立ち上がったんだ。
そうして島原・天草一揆が起こったんだ。
Q.どんな人が参加したの?
農民や漁民を中心に、武士もいたよ。身分を超えてたくさんの人が参加したんだ。その数2万数千人(諸説あり)。晴信がキリシタンを保護していたから、当時の南島原やその周辺にはたくさんのキリシタンがいたんだよ。
Q.一揆軍の敵は誰なの?
幕府軍です。豊臣秀吉が禁教令を出したのは、キリシタン大名が海外と貿易をして財産をためて力をつけていくのが怖かったのもあったんだ。もし、一揆軍が勝つことがあれば、キリスト教の勢力は一気に増して、全国のキリシタンが蜂起すると思ったんだ。そうなると海外から侵略される可能性もあった。幕府は絶対にこの一揆を治めたくて、はるか原城まで約12万人もの軍隊を送り込んできたんだ。各地から集まった幕府軍の中には、宮本武蔵もいたという話が有名。剣の達人だった武蔵が、一揆軍の投石で負傷したとの記録が残っています。
Q.兵糧攻めにあったのに、なぜ3ヶ月も籠城できたの?
原城は岸壁に建てられていて、追い込まれやすい場所に見えるけれど、実は海に向かって複数の門が開かれた造りになっていたんだよ。一揆の後半戦では、最初に運び込んだ食料が無くなってしまったのだけど、地元の海を知り尽くしていた一揆軍は船で海に出て食料を補給したりできたと言われているんだ。城内に水が湧いていたのも籠城できた理由の一つだよ。
Q.2万数千人(諸説あり)もの一揆軍が全滅したあとは、南島原や周辺の村から人がいなくなってしまったんですか?
そうです。ほとんどの人が命を落としたため、暮らす人がいなくなりました。そこで幕府は強制的に移民をさせました。そこでは年貢の免除など、様々な優遇措置がとられたんだよ。
Q.原城跡は、なぜ世界遺産になったの?
キリシタンが「潜伏」するきっかけとなった島原・天草一揆が起こったことや、キリスト教が禁止されていたのに信仰を守り抜いた人たちがいたことがわかる場所だからだよ。
原城跡は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されているんだけど、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は12の構成資産が揃って1つの価値を表しているんだ。原城跡はそのストーリーの出発点に位置付けられているんだ。世界文化遺産をめぐるなら、ここ原城跡からはじめてみよう。
原城跡の基本情報を教わった宇宙人は、無事に南島原観光に旅立って行きました。
その後ろ姿を見守るガイドさん。太陽の下、青いジャンパーが輝いていました。
▼【予約不要】おすすめ!原城跡ワンコインガイド!
土日祝限定で観光ガイドが原城跡で待機し、ガイド案内いたします。
分かりやすくご案内しますのでぜひご利用ください。
受付時間 9:30~16:00 (※年末年始、荒天中止)
受付場所 原城跡総合案内所
料 金 大人1人500円/中学生以下無料/家族一律1,000円
案内場所 原城跡本丸所要時間 約40分