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スポット

天守跡(櫓台跡)

城跡・建造物/文化遺産
櫓台跡は、1994(平成6)年の発掘調査で発見されました。発見時、この櫓台跡の石垣の角の石はほとんど崩された状態でした。角の石を外すのは城郭を破壊し城の機能を停止したことを民衆に知らしめるための儀礼的要素があったと考えられています。現在、櫓台跡は角の石が破壊された状態のまま、築城当時の櫓台の形状を表すように復元しています。この櫓台跡には、当時三階の櫓が建っていたことが、古い記録やイエズス会の報告書に記されています。
1600(慶長5)年のイエズス会の報告書には、「当時三層からなる塔の如きものを築いていて」という記述があり、また、島原・天草一揆の時出兵した、旧領主有馬氏の家臣が書いた記録には、「過去に三階の櫓があった高石垣」と、この櫓台などを示す記述があります。このことから、天守的な建物があった場所が、この櫓台と考えられ、廃城となったのちも、櫓台は残されていたことが、絵図や文書からだけでなく今回の発掘調査によっても証明されました。
2001年度の調査では、この櫓台跡下から地面を掘り込んだ半地下式の小屋跡と考えられる9区画の建物跡が発見されています。竪穴建物は地面を掘り込んだ半地下式の小屋で、発掘された際、床面には焼け跡があり、中からは人骨や瓦、生活用具などが見つかっています。福岡の秋月に残されている戦闘図に、調査成果に類似した小屋が描かれていることなどから籠城した一揆軍が居住していた場所であると考えられています。
住所
長崎県南島原市南有馬町丁
カテゴリ
城跡・建造物/文化遺産
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